「お客様のご要望に忠実に」野村製作所

スカイツリーのお膝元、東京都台東区東上野。神社仏閣と商店や工房などが混在する、独特な風情のある街。その一角に、野村製作所の自社ビルはあります。大きく近代的な建物ながら、街に完全に溶け込み、粋な雰囲気を醸し出しています。
「まだ百年ですから」と、社長の野村俊一氏は爽やかにご謙遜。その百年の真の重みを知っているからこその笑顔なのでしょう。大変スタイリッシュな着こなしで、貫禄はもちろん備えていらっしゃいながらも、失礼ながら実のご年齢より十は若く見受けられます。


婦人ものを扱えばこそ見えてくる紳士ものの奥義

「お客様のご要望に忠実に」野村製作所

2014年に現在のこの野村俊一氏に引き継がれるまで、この会社を引っ張ってきた先代は、野村久子氏、女性でした。野村保大氏が、前身の野村商店を創設してから、野村久子氏が三代目。戦後の混沌の中、女手でここまで会社を大きくするのにはさぞかしご苦労があったことでしょうと伺うと、野村俊一氏は「いえ、苦労は全くなかったようです」
当時、皮革製品といえば紳士もののニーズがほとんどでした。その中で、野村製作所はいち早く婦人ものの取り扱いに着眼し、言ってみれば他社との差別化を図ったのです。それにより、婦人ものの委託製造(OEM)分野でおおいに力を奮い、一人勝ちとなりました。現在に至っては、海外の協力工場の力を借りながら、OEM商品だけで月産約3万個にも及びます。
でも、だからといって紳士ものをおざなりにしようはずはありません。婦人ものを多く扱えばこそ、その対照として、紳士ものをも、より繊細に精査することができるようになります。何事も、凝視するのみではなく時に俯瞰が必要となるのと同じ。後段のアイテム紹介にて細かく触れますが、そのステッチ幅に至るまで拘りを持って製作しています。


良き先輩、良きライバルの存在

「お客様のご要望に忠実に」野村製作所

野村製作所では、二十人ほどの社員のうち、九人がサンプル作成担当、いわゆる専門職です。顧客と話をすり合わせ、提案などもしながら、顧客の要望に合わせたサンプル作りをしていきます。窓口=接客業でもあり、職人でもあるわけです。ここでは実に二十代から八十代の職人が働いています。
最高齢はなんと、85歳、青鹿貞夫さん。青鹿さんは、例えば象皮やクロコのような分厚く固い材料でも、端を薄く伸ばして折り返して縫う"へり返し"のできる、数少ない職人の一人です。
「素晴らしい技術です」「尊敬しています」
サンプル担当の若手、細野悠介さん、木村淳さん、冨田隆弘さんが異口同音に絶賛します。
この日、社長と共に話を聞かせてくれました。三人揃うと自然に笑みがこぼれ、和気あいあいという言葉がはまります。当然、仕事の中では鎬を削り合っているに違いありません。これこそを良きライバルと呼ぶのでしょう。


新旧世代の見事な融合

「お客様のご要望に忠実に」野村製作所

社長が続けます。
「弊社の職人には、定年制度はありません」
力強い口調に、先代からの職人への、絶対の信頼と自信が垣間見られます。同時に、その表情や所作から、若手への期待も胸が熱くなるほどに感じられました。
所内には笑顔が飛び交い、活気が満ち満ちています。皮を手に取り、測ったり切ったりするその表情が、皆、なんとも幸せに溢れています。伝統は間違いなく受け継がれているようです。前途は洋々、安泰です。
取材に臨むに当たり、当初は新旧交代劇の舞台裏などを伺えたらと考えていたのですが、その目論見はあっけなく外されてしまいました。野村製作所に繰り広げられていたのは、新旧の交代ではなかったのです。その街並み同様、温故知新。新旧の技術や拘りの美しい調和、その見事な融合でした。


お話を伺った人

お話を伺った人
野村俊一
1951年生まれ。1923年東京浅草で創業した革小物製造業の家に生まれる。生まれも育ちも現在の東上野。2002年により4代目取締役として就任。


お話を伺った人

(写真右)冨田隆弘・・・1975年生まれ。2008年7月に入社。サンプルの製作と生産管理業務を行う。(写真中央)細野悠介・・・1982年生まれ。2006年に入社し、革の管理や裁断などの担当業務を経て、2011年よりサンプル業務に携わる。(写真右)木村淳・・・1986年生まれ。2012年に入社し、サンプルの製作と生産管理業務を行う。

JAPAN LEATHER BRAND“Mens Leather Magazine”がオススメする本物志向のレザーブランド

Official SNS

Copyright© Mens Leather Magazine. All Rights Reserved.

当サイトに掲載されている記事・写真の無断転載を禁じます。